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金栗四三とは?記録や生い立ちなどの経歴や学歴まで徹底調査!

2019/08/25
 
この記事を書いている人 - WRITER -
ササキ
そこらへんの凡人。 友達がいないことを武器に、今日も写輪眼とブログを極める日々。 好きな物は酢のもの、嫌いな物はインスタ(男の)。 好きでも嫌いでもない物はマックのスマイル0円。

来年の大河ドラマでいだてんというオリンピックを題材にしたドラマが放送されることで話題ですね!

そんな中、「主演である金栗四三さんはどんな人?」ということが話題となっています。

 

今回は彼の経歴、生い立ちや学歴などを徹底調査しました!

また、彼はとんでもない記録を持っているんですよね!

それについても触れていきたいと思います!

 

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金栗四三とは?

金栗四三のプロフィール


出典 http://www.nagomishoko.jp

よみ かなくりしそう

生年月日 1891年8月20日

没年月日 1983年11月13日

年齢 92歳

出身 熊本県春富村

 

金栗四三はマラソン選手!

金栗四三さんはマラソン選手として活躍した方ですね!

ストックホルムオリンピックやアントワープオリンピック、パリオリンピックなど数多くの大会に出場したことで有名です。

 

また、ストックオリンピック出場ということで、日本人初のオリンピック選手であるということでも有名ですね。

ここ、試験に出ますよ!

 

また、当時は戦争が頻発していた時期だったので、その最中に活動に尽力された方でもあります。

現に、ベルリンオリンピックでは第一次世界大戦が勃発したことで出場を辞退せざるを得ない状況へと追い込まれてしまいます。

当時25歳ということで、体が元気な時に得られた機会を失ってしまったことは大変遺憾ですなぁ…

 

そして、彼の功績を記念して、マラソンの多くの大会に金栗四三さんの名前が使われています。

例えば、富士登山駅伝や、東京箱根間往復大学駅伝(通称・箱根駅伝)では「金栗四三杯」というものが存在しています。

富士登山駅伝では一般の部の優勝チームに、箱根駅伝では最優秀選手に贈呈されるんですね!

 

また、「金栗杯玉名ハーフマラソン大会」や「金栗記念選抜中・長距離熊本大会」など、大会名に採用されたりもしています。

 

金栗四三の経歴について

・1910年(19歳) 東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学。

・1911年(20歳) ストックホルム五輪の予選で2時間32分45秒を記録。

・1912年(21歳) ストックホルムオリンピック出場。

・1920年(29歳) アントワープ五輪出場。

・1924年(33歳) パリ五輪出場。

・1983年(92歳) 死去。

 

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金栗四三の生い立ちについて

金栗四三の学歴は?

さて、金栗四三さんはの学歴はどのようなものなのでしょうか?

 

中学校は玉名中学に通われていました。

ちなみに、現在は玉名高校付属中学校という名前に改名されています。

 

さて、気になるのはマラソンの強さですが、この中学校は駅伝部がないんですよね…

ということで、代わりに陸上の記録を見てみたところ、全国規模で活躍している選手は特に排出されていないようですね…

まあ、金栗さんが活躍していたのははるか昔の話ですし、指導方針なんかは全然違うのでしょうがね…

 

余談ですが、当時は中学校って5年間もあったんですよね!

そうなると、金栗さんは17歳まで中学生だったと言えますね。

 

その後は東京高等師範学校に進学されました。

中学校の教員養成目的に設立されたということで、金栗さんは当初教師を志していたことが伺えますね!

 

19歳の時に進学されたということで、中学卒業後の2年間は何をやっていたんでしょうかね…

現在での浪人生だったのでしょうかね?

 

ちなみに、この学校、今は全然違う学校なんですね。

現在の名が、「筑波大学」です。

 

そう、彼は現在での難関国立大学に進学していたんですね!

当時の偏差値などは定かではないですが、やはりレベルは高かったんでしょうなぁ…

教師を志すあたり、金栗さんもかなりの頭脳明晰だったことが予想されますね!

 

 

金栗四三の残した記録とは?

さて、金栗四三さんは大学在学中にマラソン選手としての才能を開花させることとなります。

その功績を見ていきましょう!

 

まず、彼の才能を世間にとどろかせることとなったのが20歳の時。

ストックホルムオリンピックの予選会に出場したときですね。

 

この時、彼は2時間32分45秒という記録をたたき出しました。

実は、この記録は当時の世界記録を27分も縮めた記録だったんですね!

 

マラソンは1秒の世界なわけですが、その中でアニメ1本分の記録更新したことは驚きですよね…

やはり、当時の日本人はかなり体力があったんでしょうかね…

(まあ、当時は黒人選手がほとんどいなかったことも関係するのでしょうが…)

 

とはいえ、実際のオリンピックの時には途中で棄権してしまうんですよね…

というよりも、レース中に日射病により倒れてしまったんですね。

やはり、体調や環境面で問題があったんでしょうなぁ…

 

ちなみに、この時は失踪したという扱いにされており、金栗さんは実質レースをまだ終えていない扱いとなっていたんですね。

その為、1967年に行われたストックホルム五輪の記念式典で正式にゴールすることとなります。

 

その記録はなんと「54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」。

これについて、金栗さんは「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とユーモラスにコメントされています。

 

その他にも1920年のアントワープオリンピックでは16位、1924年のパリオリンピックでは途中棄権という成績を残しました。

やはり、当時は船での移動や食事など、日本人にとっては不利な状況でしたよね…

 

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まとめっ

来年の大河ドラマ、期待ですね!

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